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西新日和vol.2

西新も変わりよる。でもお客さんがおる間はやっていきたかね。 おばちゃんとのやりとりには、思わず笑顔がこぼれます。
「おばちゃん!この味噌もらうけん。」「わらびも持っていき!煮すぎんごと。おまけしとくけんね!」西新商店街の入口まで聞こえてきそうな笑い声。この町の名物、リヤカー部隊のおばちゃんたちは、今日も元気です。

午後1時。野菜やくだもの、花、漬け物…それぞれに、自慢の品物を載せたリヤカー部隊が、西新商店街に続々と並び出します。品物はどれも、糸島や背振、唐津など、福岡近郊でとれた旬のもの。取材のこの日は春まっさかり。温かい日差しのもと、部隊を束ねる、西新行商組合の宇高伸子(うたかのぶこ・76歳)さんのリヤカーも商売開始です。リヤカーには山菜や筍といった春の食材が並びます。


この日は開店早々から、お客さんがひっきりなし。常連の主婦や商店街のお店の奥さん、親子連れ…。もちろんなかには初めて訪れるお客さんの姿も。「なんねあんた、最近顔ば見せんけん心配しとったばい!」「これも持っていきんしゃい、また来んね!」常連客にもたまたま立ち寄ったお客さんにも、その豪快でハツラツとしたおしゃべりは変わりません。

西新のリヤカー部隊は、今や西新はもとより、福岡の観光名所の一つとなっています。週末には県外などの遠方から訪れる人や、外国人観光客も珍しくないとか。地のモノが手に入るのはもちろん、活気のあるおばちゃんたちとのやりとりも、魅力のひとつになっているのかもしれません。


リヤカー部隊の歴史は戦前まで遡り、農家の奥さんや子どもが、自分の家で採れたものを積んで、西新を売り歩いていたのがはじまりだとか。やがて戦後、商店街の中で行商が行われるように。宇高さんが行商をはじめたのは昭和35年、今と同じ「蜂楽饅頭」の前からスタートしたそうです。一時は100台を超えるほどのリヤカーが出ており、通行の問題で警察との話し合いに。昭和42年、「西新行商組合」がつくられ、営業許可制度の制定や、出店時間などの取り決めがなされたのだとか。

その後は“西新名物”と呼ばれるほど親しまれてきましたが、現在、リヤカーの数は20数台まで減少。「後継者がおらんけんね…。でも若い人にはそれぞれ仕事もあるし人生もある。私の息子たちも、嫁も家族もそうたい。お客さんがおる間は、元気でやっていきたかけどね。リヤカーはお客さんに支えられとうけん、信用ば無くしたら仕舞い。よかもんは良か、前の日のもんはちゃんとそう言うて、食べ方ば教えるだけたい」と宇高さん。お客さんとの人情味あるやりとりのなかには、そんな商売人の心意気がつまっていたのです。


「おばちゃん達は、西新の顔やけんね!」
取材中、宇高さんに、常連客の一人が言ったひと言。
自分が言われたわけではないのに、何ともいえず心がじんわり。
流れていく毎日、変わっていく時代。ふだんつい忘れがちな人の温かさや、
心の大切さが、西新に来ると取り戻せる…。そんな元気がもらえる町だと、実感しました。

西新行商組合 組合長 宇高伸子(うたかのぶこ)さん/常連さんいわく、この笑顔に会いにリヤカーへ立ち寄る人も多いそうです。
[ 2010年5月1日更新 ]

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nishijin biyori
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